2006年3月 7日 (火)

砂漠のカーリマン

Materキートンという漫画はご存じかと思います。
その中のひとつのエピソードに「砂漠のカーリマン」があります。私はこの話の内容から、究極のサバイバル術であると思っています。詳しいことはネットでも検索して頂ければ結構ヒットしますので、そちらをご覧ください。
靴までも取り上げられタクラマカン砂漠に放り出された主人公のキートンと仲間達が、僅かばかりの道具を駆使して驚異的なサバイバルを展開します。生存の確率はほぼ0%。でも決して諦めず、そして希望を持って仲間を励ましてゆきます。多分キートン当人が一番、生存は不可能であることを理解していたはずですが、それでも彼は諦めません。そればかりか、彼の本職である考古学上の疑問、正体不明の武器の謎を解明すべく、砂漠の上で色々と考察を進めていくのです。もし解明されたとしても生きてそれを誰かに伝えることなど不可能であるのにも関わらずです。本来であれば生存することだけに囚われているはずなのに、彼はあえて普段の彼の興味を追求することでバランスを取っていたのでしょう。極限の中でも楽しみを持ち込むことが究極のサバイバル術なのではないでしょうか。日常の楽しみを追求することは、極限の状態もまた日常にしてしまうことです。そうでもしないと、人間は簡単に壊れてしまうものなのでしょう。極限状態に押しつぶされないために、心の中に別の何かをつぎ込むことが必要なのです。何も特別なことを持ち出さなくても、本当にいつもの普通の楽しみでいいのでしょう。
そして、そうした極限打開とはまったく別のやっていたことが極限をも突破してしまうのです。
お話の世界のことですが、現実もそうしたものだと私は思います。

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